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患者数の少ない難病や新しい病気に対する日本の状況 [社会]

 3月6日のTBSTBS報道特集NEXTで「激しい頭痛やめまい…脳脊髄液減少症との闘い」という病気について放送されました。『2000年に当時、平塚共済病院脳神経外科部長であった篠永正道が「髄液が漏れている患者が言われてきたよりも非常に多い」ことを発見。篠永は2002年に学会で発表するも、医学界ではほとんど注目されなかった。』とフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)にありました。ここに日本の医学界の問題があり、その後の学会の動向にも現れているのではと思います。
 一部の熱心に新しいこと、今までに考えられていなかったような状況に立ち向かおうという医師が少ないのでという思いです。これは、日本の医学教育の問題点である「詰め込み」と関係があると考えます。この状況を打破しようと改革がおこなわれているのですが、高校教育とかで「記憶」頼りに学習をして医学科に入学する学生が多いことも妨げになっているのでは。また、形だけを真似た研修医制度とかも混乱に拍車をかけているとかね。
 患者数の少ない難病では、アメリカとかでは新薬開発は国が責任をもっておこなっているとか。だから、製薬会社は患者数の多い新薬は当たり外れがあって開発費用の回収が出来ないことがあるが、患者数の少ない難病の新薬ではそのようなことがないので開発が進んでいるのですね。ところが、日本ではそのような薬においても、製薬会社の費用負担で承認申請を求めていますね。承認申請のための費用が高くて、どの製薬会社も躊躇しているのが現状でしょうね。このように、患者の利益になるというのはどのようにするということより、重大なことが起こらないかぎり積極的に行動しないという伝統があるようですね。それに、同程度の他国と比べて軍事費が極端に少ないのに金がない予算配分の問題ですね。
 虐待とかの問題でも、国内からというより海外から新しい知見がもたらされてから、漸く、動き出す。それも徐々に。不登校でも以前は「怠け」とかいっていましたが、最近漸く「乳幼児期の育児環境の問題」であるというのが理解されだした状況もよく似ていますね。DVでも取り組みが遅いですし、トンチンカンな取り組みも見られます。
 以前からの観念に囚われすぎているところが多いのが日本ではと思います。それが、難病や新たにいわれだした病気の概念について行けなくて、否定に走ったりするのでしょうね。
 実際に苦しんでいる患者や子どもや配偶者などをどのように救うかということを第一に考える社会になってほしいですね。

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