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レッテルに疑問を [社会]

織田信長についてですが、あるときに「短気」というレッテルに疑問を持ったのです。
そして、「下天は夢か」の付録みたいな「下天は夢か 信長私記」という津本陽氏の著作に出会いました。
その記述の仕方等から信頼できると思いました。当時の日本人の思考を大きく超えた近代的思考の人物とね。
兵糧攻めは信長の時に秀吉にさせたですよね。これ、「気長に待つ」ということが必要ですね。
ただ、当時の作法もあるので「敵対したものは殺す」もね。
日露戦争もなにか普通にいわれていたことに疑問を持ったのでした。大昔の岩波書店の「図書」という月刊の小冊誌を読んでいてね。
大江志乃夫氏の「日露戦争の軍事史的研究」という本も購入しました。ただ、これは「積ん読」に近かったかもね。
私記は何回の熟読しました。司馬遼太郎氏の国盗り物語も読んで考察ね。私記の方が後です。
日露戦争は司馬遼太郎氏の「坂の上の雲」も読みました。この前に「雑談 『昭和』への道」も見ました。その後、読みました。
また、大平洋戦争についてもね。朝鮮や中国にとって日本軍は頼みもしていないの入ってきたかな。
今のウクライナにいるロシア軍、みたいにね。
アメリカは当時ヒトラードイツを倒したかったから、国内向けに日本に先制攻撃させたと思うのです。
アメリカの挑発にまんまと乗った日本ですよ。
そして、誤算は日本軍がしつこかったということかな。
1945年3月硫黄島陥落と東京大空襲、4月から6月にかけての沖縄戦、4月にヒトラー自殺、5月にドイツ正式の降伏しましたね。
それでも決断できずにずるずるの日本ですよ。グズグズしている間に7月に原爆実験成功、8月に広島と長崎に原爆投下、で、陛下が痺れを切らしてポツダム宣言受諾(これ憲法違反に当たるそうです。憲法で国政について関与してはいけないと当時もなっていたとか。開戦のときに天皇の名を使っていますが内閣の独断ですよ。)の玉音放送で終戦でしたね。
当時の内閣は決断できなかったのですよ。東条英機内閣も。
福島の原発で東京電力の社長等が海水注入の決断ができなかったのと同類かもね。「責任逃れ」ですよ。


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