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「鞆の浦」と「ミコノス」などから思う日本の風景 [文化]

 10月5日の日本経済新聞「春秋」で「鞆の浦とミコノス」とが取り上げられていました。
 「ミコノス」はギリシャのエーゲ海に臨むとある町だそうです。そこは、日本でいう歴史的景観を大切にているとか。車の通れないような路地もそのままにして「歩く」。バスは町外れのバス停から乗車とかしているというのです。当然、家の塗装も調和を保つようにして年に2回ほど塗っているらしいです。
 「鞆の浦」では、利便性を求めた道路の新設計画が「景観」を裁判で理由に差し止められましたね。住民の意識は「ミコノス」とは違うようです。便利さをとる住民も結構いる感じです。でも、「景観」は一度破壊すると元に戻すのが困難ですね。「利便性」と「景観」のバランスをどう取るかということになりますが、難しい。
 ところで、日本の公共施設がどうして全国一律のような建物になってしまったのでしょうか。最近は地域の特色を取り入れたのも増えているみたいですけどね。
 大分前にある地方の町の小学校でしたか、「本校は鉄筋コンクリートです。」とか自慢していたとか。そこ、木材の産地だったはずです。たしかに、鉄筋コンクリートの方が管理しやすいですね。でも、そこの風景に溶け込むような建物の方が教育効果は高いのでは。このような都会志向の発想が「全国東京化」と「歴史的景観の破壊」などを進めたのでしょうね。ただ、「茅葺きの家」は松などでいろりを焚く必要がありますから、燃料革命で消えていく運命にあったのかもしれないです。でも、でも、どこでも東京化は日本人の主体性のなさを示しているのかもしれないですね。
 「生活の利便性」と「歴史的景観による快適性」の両立ができるような町作りを考えてみる必要がありますね。

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