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安全に対してというか、常識がないのでしょうか [文化]

4月28日に兵庫県の私立高校で「アーチェリーの矢、高1の頭に10cm刺さる」という事故が起こりましたね。それ以前にも、東京の方でしたか、砲丸投げ?ハンマー投げ?どっちだったか、グランドにいた他の生徒に当たるという事故が起きてました。
ただ、今回は部室で手入れ中ということなのですが、「人がいる方に向かって引かない(セットして持たない)」という原則が守られていなかったのでは。壁に向かっていれば事故は起こらなかった。矢の危険性を十分理解していなかったのでしょうね。
もう一つが「一橋大18歳新入生、寮で飲酒後死亡 急性中毒か」という記事です。こちらの急性アルコール中毒事故は時々、起こっていました。またか、という感じです。でも、医学部の新歓コンパであらかじめ医師に「新入生に酒を大量に飲ますのでもしもの時は・・・」と言って、医師から厳重注意されていた医学科生もいたいうことですから、俗に言う「文系」だからね。それでも、死なせてよいといういいわけにはなりません。
どれも、もう少し、安全についての意識があれば、防げていたと思われることです。
どうも、急性であったりして、重大な結果にすぐ繋がることに対してはそのことが起これば、皆用心するようです。
しかし、慢性であったり、要因が多数あって特定しにくいものには注意を払わない人が多すぎますね。それに、薬物中毒症状が加わると、全くその危険性を顧みなくなる人が多数います。
それは、喫煙であり、ある程度以上のお酒であったり、偏食であったり、といろいろあります。その中で世界中で「脱たばこ」の行動が起こっているのに先進国の中では見本は動きが鈍いですね。
これも、今回の事故の遠因と関係があるのでは。安全や健康に対する基本的態度の欠如ですね。

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情報の裏表を考えて見てください [文化]

3月23日の日本経済新聞「SUNDAYNIKKEIα」健康面「健康情報読み解く」の今回のテーマが『「有効」の裏側考える』というものでした。
それで、読んでみたところ、報道は発表事項の内、「有効」とかポジティブな方が強調されているというのです。筆者らが7年の歳月と約8万人を対象とした追跡調査の研究ですね。野菜や果物の摂取量といくつかの病気の発症率の関係ですね。全体的に考えられていたほど効果が高いというのではないというのことだったようです。でも、植物繊維などの摂取を全く怠ると病気になりやすくなりますよ。ほどほどにね。
ところが、報道では「効果あり」の部分が強調されていたというのです。それで、筆者は「一つのポジティブ情報の背後には、伝えられないネガティブ情報がある場合も多いことを、知っておいて損はない。物事の全体像は、ポジとネガがそろってはじめて浮かび上がるものだろう。」と結ばれています。
両面を考えて見る必要があるということですね。
それと、統計数字でが、これも鵜呑みにすると酷い目にあうことが多いですよ。典型例が御上がつくる公共施設などの「利用予測」。ほとんどが過大ですね。過小評価は少ないです。これは、想定の基準設定に問題があるわけですね。
その他にも、「平均」というのでも「分布」を考えた「平均」なのか、「単純平均」なのか。本来含むべきものが「除外」されていないのか。あるいは除外されるべきものが「含まれている」のか。
グラフの書き方で「印象」を変えることが楽々できます。それをもとに、結論を誘導することもね。
ですから、情報の単純な鵜呑みは危険極まりないのです。皆さん、気をつけましょうね。

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目先の利益ばかりを追うとどうなるのかな。 [文化]

3月12日の日本経済新聞社説に「宇宙実験、夢より成果見せよ」というのがありました。
宇宙空間での実験を行うために、スペースシャトルで日本の実験棟「きぼう」が打ち上げられましたね。そのことについての社説です。
経費と効果について論じているのですが、「研究」と「開発」とを混同している節が感じられるのです。それは、民間有識者の意見を政策形成に反映させるとして設置された経済財政諮問会議の議論と重なるような感じなのです。
「効率性」のみでしょうか。国立大学法人の運営費交付金の配分について競争原理を導入せよとかいっているのと同じような感じです。このほうでは、確かに論文数などで旧帝国大などが他を圧倒していますが、それは長年の資金配布の不平等によるものなどですね。その結果、地方の大学は「金欠」状態で「貧乏度」が凄いみたいです。それでも、論文が出ないから「減らせ」というのが経済財政諮問会議の論調でしたね。
そして、基礎研究の場合、論文は出せても「実用化」は遠い先の場合がほとんどですね。
あの銭ゲバのアメリカでも予算が削減されたと言っても日本より圧倒的に多いというのです。
青少年に研究とか技術開発に興味を持たせるためには「夢」が必要なのです。それが、日本の工業立国の基礎を気づくというのをこの筆者や経済財政諮問会議の面々は解っていないのかと思うのです。

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職業の道楽化・勉強の道楽化 [文化]

3月3日の日本経済新聞の文化面「私の履歴書」で住生活グループ前会長潮田健次郎氏が本田静六氏の「私の財産告白」から引用の形で「人生の最大幸福は職業の道楽化である。富も、名誉も、美衣美食も、職業道楽の愉快さには比すべくもない。」と書かれています。
そして、4日には「単純な作業でも自分なりに工夫、改善すれば喜びがわいてくる。」とも書かれています。
このように感じることができるためには、「よい職場環境」がいるでしょうね。それは、そこの全員で作り出していくものですね。当然、不当労働行為なんて無縁のところでしょう。
題に「職業の道楽化・勉強の道楽化」としました。これは、勉強においても同じことがいえると思います。職業でも、はじめから「楽しい」なんてないのでは。下積みを経て、仕事内容が理解できてからだと思います。その過程で陰湿な環境のところでは絶対に「職業の道楽化」なんてないですね。
勉強においても、学力がつけることが出来、疑問に思ったことなどを自ら調べたり、考えたりして解ったときの快感ですね、この積み重ねができるようになると「勉強の道楽化」になっていくと思うのです。
ですから、本来は「勉強は楽しい」です。では、フィンランドの教育の方向はこの方向だと思います。では、日本ではどうでしょうか。日本では「選別」の道具として使われていますね。内因的動機ではなく、外因的動機ですね。ですから、少しでも、勉強をサボる口実の情報があれば、それに乗ってしまうというのが現状です。「皆でサボれば怖くない」とばかりにです。
「職業の道楽化・勉強の道楽化」どちらもこの道楽化ができないときは効率が悪くなりますね。

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過去と向き合う勇気、自己解剖の勇気 [文化]

2月17日の朝日新聞の社説は「弁護士増員―抵抗するのは身勝手だ」というのと「豪首相の謝罪―過去と向き合う勇気」とでした。
どちらも、「自己解剖の勇気」ということでは通じるものがあると思います。
オーストラリアの先住民にたいする植民統治の誤りを謝罪したものです。詳しくは朝日新聞やオーストアリアの報道で確認してください。そして、このような動き、イギリス政府の奴隷貿易に関する謝罪、カナダ政府の先住民に対する謝罪、アメリカ政府の日系人に対する謝罪と補償などですね。
これらは、自国の過去の行為に対する検証抜きではできないことですね。
過去と向き合うことができるというのは、現状においても「自己解剖の勇気」を持っているということです。
これらの国に共通しているのか政府公文書の公開制度ですね。日米交渉での状況もアメリカ公文書館から公開されて論議を醸したことがありましたね。ある程度、年数が経てばすべてを公開するという仕組みがイギリスをして滅亡から救っているのでは。
日本はこの「自己解剖の勇気」を持ち合わせていないようですね。ですから、「過去と向き合う勇気」もなく、国際的に孤立していこうとしているのではと思います。
そして、この国は「受けた被害」は忘れないが、「与えた被害」に対しては「健忘症」のようですね。この「与えた被害」というのは近隣諸国民に対してだけではなく自国民に対しての「与えた被害」も含まれています。

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日本人にあるの?「サイエンスの心」 [文化]

2008年1月7日新春特大号の日経ビジネスの有訓無訓に江崎玲於奈氏が「”サイエンスの心”が日本の限界打ち破る」という見出しでこの「サイエンスの心」について述べられています。
江崎氏のいう「サイエンスの心」とは「物事を論理的にとらえる思考力です。これは科学や技術に限った話ではなく、西洋の政治や経済、社会の隅々にまで多大な影響を及ぼしてきました。・・・」です。
「物事を論理的にとらえる思考力」ということですね。例として、太平洋戦争の時のことを取り上げられています。日本は「一億一心」とばかり、「勝利」のみを信じこんで)特に軍部)邁進した結果、負けましたね。しかし、西洋の二元論的思考では「勝ち」と「負け」の両方を想定し、勝つ方法だけではなく、時には「上手に負ける」ことも考えながら戦っていたというのです。
「物事を論理的にとらえる思考力」というのがなかったからということです。
物事の一面のみをみて、それを信じ込むというのが日本では幅をきかせていますね。「出る順・・・」とかいう参考書ですね。これが役に立つのはその分野全体が十分理解できてからだと思うのですが、「勉強は最小限」という意識の下では「出題されるのだけ覚えればよい」とばかり利用されているのでは。知識の細切れかが起こると理解できないし、忘れやすくなることに気がついていない。「学習」についての科学的考察のなさがなせる技ですね。まあ、「勉強とは暗記」という論理的考察のない思い込みがあるかぎり続きそうですね。
OECDの学力調査で世界トップクラスのフィンランドの授業時間数は世界的に見て少ない方でしょうね。日本と何が違うのでしょうか。この違いを理解するために必要なのが「物事を論理的にとらえる思考力」ですが、ちまたでは「授業時間数増」のみが声高に叫ばれてます。
帝国陸軍の中枢は「エリート」だったですね。それも海外の軍事情勢に「目を閉じていた」としか思えない行動をしています。「物事を論理的にとらえる思考力」を持ち合わせていなかったと見るべきでしょう。
「物事を論理的にとらえる思考力」を持っていないと、自らの行動で墓穴を掘ってしまうことが頻発することになると考えています。
企業経営だけではなく、いろいろな場面でいえることです。

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